1976年 愛光高等学校卒業
1982年 京都大学医学部医学科卒業
1982年 京都大学医学部附属病院外科」(研修医)
1983年 新潟県立中央病院外科(医員)
1987年 京都大学大学院医学研究科博士課程分子医学系専攻
1994年 京都大学ウイルス研究所(文部教官・助手)
1996年 パリ・パスツール研究所(Alain ISREL博士研究室)
1999年 東京医科歯科大学医学部 助教授
2007年 東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 教授

私は四国松山出身で、子供の頃は海や川で泳ぎ野山を走りまわって育ち、京都大学医学部在学中は将来基礎医学の教官になるとは夢にも思わず、学生生活を満喫していました。たまたま病院実習初日が開腹手術見学で、遠くから美しい内臓と無駄のない外科医の動作を目の当たりにした瞬間、志望が決まりました。卒業後は半年間の大学病院外科勤務を経て、新潟県立中央病院外科で5年間、文字通り土日の別なく日夜院内を奔走し、癌治療のきびしさを痛感しました。

癌細胞のことをもっと知らなければとの思いで大学院では基礎研究を希望し、ウイルス研究所でヒトに成人T細胞白血病(ATL)を起こすレトロウイルスHTLV-Iを研究しておられた畑中正一教授の御指導で、ウイルス発癌タンパク質とその標的となる細胞因子の研究をしました。研究を始めてみると、細胞の重要なしくみをウイルス蛋白の機能から知ることができることに、学生時代初めて開腹手術を見学した時以来の衝撃を受けました。私は実は中学生の頃に「生命のどのように誕生したのか」というちょっと壮大な疑問を抱き、手探りで本を読んだりしていました。その時からいつかそのヒントになるような研究をしたいと願っていたことが、この時研究者への道を後押ししたのかもしれません。子供の養育を臨床医の妻となんとか分担しつつ、日々新たな研究に夢中になりました。今から考えると、外科医として腕を磨く時期に後先考えない生き方をしていたのかもしれませんが、それを許してくれた家族や大学に感謝しています。

ウイルス研究所で助手に採用されたのが36歳、38歳から3年間パリ・パストゥール研究所のAlain Israel 博士のもとに単身留学しました。そこでは細胞内シグナル伝達の美しさを知り、ウイルス発癌タンパク質を活かした独自の方法で免疫制御や腫瘍形質の鍵を握る分子NF-kB essential modulator (NEMO)を発見する幸運に恵まれ、研究者として生きて行く決心をしました。パリ滞在中私の生き方に大きな影響を与えたのは、日本人とは大きく異なるフランス人の習慣、個人としての人格を第一に考える姿勢、美しいことを良しとする価値観であり、日本で自分がふだん当たり前と思ってきたすべてが実は相対的なものであることを知りました。

平成11年から本学ウイルス制御学助教授に採用され、山本直樹教授の御指導のもとエイズの原因ウイルスHIVの研究に参加しました。平成19年年9月からは同教室教授として感染・微生物学の教育に携わる一方、ATLと悪性腫瘍における恒常的NF-kB活性化機構、そしてHIV複製の不思議を解明する研究に取り組んでいます。患者さんから多くを学んだ経験から、ウイルスが感染した細胞から学ぶことは多いと考え、多くの若い研究者とともに重要な課題にチャレンジしてゆきたいと願っています。